☆18.5.9 中日新聞・p.12・西三河版・「西尾市民病院との統合病院」-「碧南で新設が条件」の見出しの記事がありました。
● お隣の街の「市民病院」を統合する話題は「病院経営の深刻さ」を物語っています。
・この施設機能の連携統合の検討は、公共施設のため両市の「市役所」「医療関係者」そして「市民」の各々の希望・意思・思惑を融合することとなり並大抵でないことは容易に想像がつきます。相当の時間と労力を要することになることでしょう。
・しかし、面子の先延ばしは更なる財政負担の増大を招き、共倒れも想定されます…。
⇒ 病院は、市民生活の必須機能であり、歩み寄った調整を期待したいものです。
(* 全国的にも医療負担は限界を超え、国家レベルで医療改革が始まっています。一方、高浜市は、民間病院(分院)に経営移譲10年で30億円! 更に建替え-23億円補助!と大盤振る舞いの実態は不可解な施政です。更に、この民間病院の移転のため、公共施設を早期解体は誤謬としか言えません。)
(*今後、高齢化医療は「入院」では無く「在宅療養」が基本と、脱入院の医療方針なのに、民間病院に巨額の補助提供は、理解も納得も出来ないのです。)
---統合の進め方-------☆---
● 記事では、碧南市は「市内の医師-117人」に「アンケート」を実施。81人が回答。
・「碧南」に建設条件なら協議を推進可 – 32人 (40%)
・「無条件」で、統合・連携協議を推進可- 17人 (21%)
* この49人のうち、協議推進上の重要項目として
・「病院の場所」- 43人
・「医師不足解消を含む医療の質の確保」- 18人 と回答。
・「大災害時に、市境に流れる矢作川を渡れるのか?」という心配の声もあったとか?
⇒ 「碧南市民病院は、00年以来、赤字経営が続いている」 西尾も同様らしく、統合・連携は、必須課題のようです。
(*驚きは医師数の多さ。碧南は「117人」。高浜-「29人」どちらが適正でしょうか?)
---情報発信--------------☆---
● 隣街を、くどくど書いたのは「高浜に、この情報発信が無いと思われるからです」
・ 自治施政における「情報発信の事例」に「碧南-病院運営」を事例に取上げました。
⇒ 注目すべきは「病院運営」に関し「医師の『*1 アンケート調査』」を基に、『*2 施政方向を模索』され 『*3 新聞発表』の手順と方法を踏んだ情報発信の仕方です。
⇒ ここで気づいたのは「行政とは『市民の代弁者』であることです」
● 高浜の施政方針にも「情報発信の強化」と取り上げられています。
・過去において「市立病院を、経営移譲に伴い『医療形態を療養型に変更』や『巨額の補助』」は、決定結果を「市広報」で事後報告されていたのを知りました。
(* 当時の説明会では・医療形態- 継続・補助負担- 経営移譲のため初年度のみ」と当時の市長自らのご説明だったかと思います。
・この説明会後、いきなり「病院」を現在の異例の移譲は市民無視同然の施政でした)
⇒「施政方向の決定は『市民の意向を確認後』施政に反映することが根本です!」
●『旧庁舎や中央公民館の早期解体』も、市では無く、「新聞の取材記事」や「市民のうわさ」で知りました。「事後報告」が常套手段と化しています。
(*例えば、新高小-50億円の建設計画図を公表は「着工後」。余りにも「独断」では?)
⇒ 情報化社会の今「個々の施設建設につき、図面提示も無く、市民アンケート調査も無く、推進強行は乱暴な進め方ではないでしょうか? 」
(*パブリックコメントはアンケートではありません。5-10名の施政に関心度の高いオピニオンの意見です)
● 公共施設建設も「総合施設管理計画書を提示したから『建設推進は承認された』」ではなく、個別の施設につき「構想説明」され「市民の声をアンケート調査」し、その「声」を反映された施設建設という方法で推進されることが無謬性です。
⇒ 今回の碧南方式に無謬性の施政運営を見たような気がします。
---施政のあり方--------☆---
● 特に「公共施設」の寿命は「高浜-70年」(他市は「80年~90年」を採用)
・行政として施設責任は極めて長期に渡ります。理想追求すれば「百年」を見通した施設建設管理や「まちづくり」が望ましいのです。
⇒ しかし、実態は「庁舎-リース20年」。21年後「後世の市民任せ」は無責任です。
● 何事も組織活動を進める方法は「上意下達(トップダウン)」と「下意上達(ボトムアップ)」があると言われます。
・感覚的には「緊急時・異常時・基本方針」は「上位下達」
・「平常時・具体的施策」は「下意上達」が適正、適切な組織運営の時代です。
・この「下意」は「行政スタッフ」であり「市民・未成年」です。
⇒ しかし、施政の主体者は「市民」です。「市民本位の施政が無謬性です」
● 「百年の大計」も「市民本位の施政運営」の追求により見いだせると思われます。
● この無謬性により「計画が長期化する」ことはやむを得ない事と思われます…。
●「拙速な誤謬」により、市民の幸せを奪うことより、丁寧な施政運営が適切です。
⇒ 施政は無謬性を追求するものであり、誤謬を許されるものではありません。
『大家族精神』の発揮は無謬性を実現の妙手と思います!